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青少年海外派遣
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霧島市国際交流協会事務局
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経験は人の心を豊かにする
                中学校2年         

 「アメリカ」この国の名前を聞いて何を思いますか。「日本」と聞いて何を思いますか。
 僕は、繰り返す毎日の生活をつまらなく感じていました。テレビ等で見るアメリカは広大で自由な国。自分の住む日本は狭くて窮屈な国。と、思っていました。そんな僕は、自由を知りたくて、視野を広げたくて、嫌いな英語を好きになりたくて、ホームステイに参加することにしました。
 7月27日、出発の日です。僕は、ワシントン州アーリントンという場所に行くことが決まり、オリエンテーションで顔見知りになったグループで旅立ちました。一緒に向かう仲間達は学校のクラスメイトとも違う部活の仲間とも違う不思議な感じがしました。愉快で楽しいこの仲間と充実した日々が送れるのではないかと期待と不安が入り交じりなんとも味わったことのない気持ちになったのを覚えています。
 シアトル空港に到着しました。長いフライトで疲れもありましたが、さあ始まるぞと期待の気持ちも乗せながらバスは走りました。学校へ到着し仲間達がどんどんホストファミリーと帰っていきます。僕は不安になってきました。ルーズなそのホストファミリーは予定で聞いていた家族構成もペットも全く違い、とまどいながらのアメリカ生活の始まりでした。この家族には僕ともう一人中学3年生の男子がステイしました。彼は英語の天才です。反対に僕は苦手です。不安の波が押し寄せてきます。「やっていけるのだろうか。」「置いていかれないのか。」初日からファミリーと普通に話せている彼を見ながら思っていました。
 ファミリーには、ホストブラザーのジェイデン4歳がいました。最初はシャイで顔を隠していましたが、慣れてくると、とても暴れん坊で叫ぶ、投げる、叩く、走る、泣く。を繰り返し行い困りました。言葉が通じないので泣いた時に僕のせいにされてマザーに怒られました。言い訳をすることもできず我慢するしかありませんでした。英語ができずにもどかしい思いを何度もしました。それでもコミュニケ−ションを取るために得意の絵を描いたりしました。とても喜んでもらいました。ギブ&テイクをすべく僕ができることは何かを考え掃除をすることにしました。良かれと思い掃除をすると「なぜ、掃除をしたのか。」と、聞かれ、これもまたすぐに返事をすることができず、「なんとなく」と言いました。後から考えると手伝いをしてお小遣いをねだったと思われたのかもしれません。お手伝いをすることは、日本では「しつけ」として当たり前に育ちましたが、アメリカでは労働イコール報酬(おこづかい)となるようです。文化の違いを感じました。文化の違いといえば食事です。アメリカの食卓は日本のようにいろんな食べ物が日ごとに変わって出てきません。食事は、ほぼセルフサービスで朝はシリアル。昼はパンとお菓子。夜はホットドッグかハンバーガー。たまに違うこともありますがほとんどこのメニューです。こんな生活を続けていると太ります。いやいや、日本の食事が恋しくなりました。目を閉じれば浮かぶ家族との食事。日本から持ってきた即席みそ汁をお湯で溶かし一緒にステイしている彼と飲んだその味は一生忘れません。身に沁みました。僕らは日本人だなと。と思いました。
 ホストファミリーには、シスターもいてシアトル球場へ連れていってもらったり、川へ行ったり、パーティーやライブに連れて行ってもらったり、ほぼ毎日プールに入ったり、毎日が刺激的で生きているのは素晴らしいと感じました。帰る頃にはファミリーが話す事がわかるようになっていました。
 サヨナラパーティーの日、全員泣きました。さすがに普段は泣かない僕も今までの思い出がよみがえり、こみ上げてきて涙が止まりませんでした。次の日、僕らは日本へと帰国しました。
 このホームステイで気づいたことがあります。アメリカは広大な国で人の体も心も大きかったです。自由の国か分からなかったけれど、みんな自分が大好きで自分を認めていて、僕は自分を好きでいいんだと思いました。日本はルールやしばりはあるけれどそれによって得ることができるものがたくさんあります。日本は窮屈と言っていた僕が言っていいかはわかりませんが、日本も自慢できるものがたくさんある国です。自国愛をもっと持っていいのではないかと思いました。
 帰ってから両親とホストファミリーがSNSで繋がりました。僕の家族も国際交流が始まりました。ホストマザーが僕のことを好きでいてくれたんだと後から知り、すぐにでも会いに行きたくなりました。
 僕は、日本のこの霧島市で育ってよかったです。このような機会に恵まれました。普通に生活していては経験できない素晴らしい体験をさせてもらったと思います。この経験を糧に前を向いて頑張っていきたいと思います。また必ずアメリカに行きます。それまでに英語をたくさん勉強したいです。この企画でお世話になった霧島市の方々、南日本カルチャーセンターの方、そして参加させてくれた家族、ホストファミリー全ての方に感謝いたします。

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