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青少年海外派遣
イベントレポート
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霧島市国際交流協会事務局
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   3週間のホームステイを終えて  高等学校2年 

 今回、ホームステイに参加できたことで、人見知りの性格で、人前に出て言葉で自分を表現することがとても苦手なので人と交流も極力避けてきた部分がありました。言葉も分からない私を3週間と長い時間を一緒に過ごしてくれて、私のことを気遣いながらも理解してくれようと必死に耳を傾けては言葉やジェスチャーで対応してくれたホストファミリーのお陰で帰国してからは一緒に過ごした仲間と交流ができています。体験を通じて学んだことで大きな変化が起こりました。
 私が今回参加するきっかけは、母親からの勧めでした。私には就きたい職業があり、その学校への志学を希望しています。英会話はその仕事をする上で必要になります。「英語が話せるようになりたい」と口にしていました。それを聞いていた母が勉強するしかないのではと言ってきました。私は、1歳から11年間英会話に通いましたが、何も身についていません。自分の中で、勉強をするイコールまた英会話へ通うのかと、嫌な思いになっていました。でも今回のホームステイプログラムを紹介してくれました。簡単に行けるものなら行きたいけど、人見知りの性格の私が他人の家で生活をする、「嫌だな。」と頭の中で返事をしていました。
 曖昧な反応しかできないまま過ごすうちに申し込みの期日が迫っていました。母は申し込んだからと言って行けるわけではない。今回は申し込みをしてみるだけでも成長につながるのではとも助言してくれました。母任せにしていると、母は担任の先生へ休日に連絡をして申し込みの意向を伝えたらしく、先生はその相談に快く対応してくださり、申し込みの際、作文の内容を英語担当の先生へも相談してもらう環境を整えてくださいました。そのおかげも大きかったと思います。申し込みだけと思っていましたが、参加できるとの返事をいただけました。そこから参加に向けて準備に入りましたが、私は参加できることの喜びより英語もできないのに大丈夫なのかと不安な気持ちが大きくなり始めました。そのことで急かす母とは思いのずれが出てきてしまい、スムーズに準備ができないことがありました。
 この準備期間中にも私の中に変化が出てきました。自分の気持ちを言葉にすることです。心配性の母の口からはしないといけない事柄が次々に伝えられて私は器用に受け止めることができなくなっていましたので、「お母さんの言葉からは不安が大きくなることしかない。自分でできるから」と言いました。それからは見守るようにしてくれました。でも母が動いてくれないと準備が滞ることがいっぱいありました。これまでは気付けなかった事にも気づくことができました。それは当たり前のように流れる日常生活において両親がどれだけ当たり前のように物事を準備してくれていたかでした。他の参加者に比べると気づきの部分の低さがあると思いますが、感謝の気持ちを持ちました。
 話は変わりますが、この事業の参加について私が躊躇したことが別にもあります。昨年秋に父親が大きな病気をして入院、退院後もリハビリが必要で私は必死にリハビリの相手をしました。その中で父は回復してくれるだろうかと不安な気持ちも大きかったです。仕事のできない月も続き、今年の春には姉が県外の学校へ進学一人暮らしを始めたことで経済的にもゆとりがあるとは思えなくて、高額な費用を出してもらっていいのかという思いでした。そのことでも母は親の務めと子供の権利について教えてくれました。悩む中、小学生で中国へホームステイをした経験を持つ姉は良き相談相手になってくれました。
 そのような状況を経験しながら出発の日を迎えました。家族が見送りをしてくれる中、不思議と私の中の緊張は大きいままでしたが、不安な気持ちは小さくなっていきました。鹿児島を飛び立ち成田へ着き仲間が増えるにつれ緊張感も小さくなりました。自然と笑顔になれる私を見て父は「美空が笑っている」と喜んだらしい。空港の出来事で飛行機が離陸するのを見送る際泣いていたと聞いた安心から出た言葉だったらしい。泣いている父を見て、母の不安な思いはなくなったそうです。「いやいや鹿児島の次は東京、まだ帰ってくる可能性がある」と気付いたそうです。初めてのホームステイ先は同年齢の男の子と13歳の女の子のいる家庭でした。ここでも性格が出て自宅では何気にできている調理が上手くできない。自信を無くしました。結構メンタルの弱さも実感することになりましたが落ち込んでいる暇はありません。今日が終わると明日が来るからです。
 少しずつ慣れてきていろいろな場所へも出かけることができました。ホストファミリーと外食すると、その量の多さに圧倒され、味も日本の感覚でオーダーして失敗して食べることができなくても、失敗したことや味に馴染めないことを理解していろいろな意味で大丈夫よと声を掛けてくれました。当たり前のように残した食べ物はテイクアウトしていました。現在食べ残しによる処分の仕方も問題になっている中、テイクアウトが日本でも普通になれば残飯処理の問題解決にもなると思いました。
 途中でステイ先が変更になり不安ではありましたが、こちらのホストファミリーからもアメリカを紹介してもらいました。広い敷地や住宅には驚きました。仕事先も紹介してもらえて自分の関わりたい仕事の最先端を見たように思えました。しかしホストファミリーから学んだことは人間を人間として評価してくれて接してくれたこと、アメリカに対する印象は人種差別というものがありましたが、私への接し方でそうではないことも理解できました。
 これから先に海外の人と関わる時には自分たちがしてもらえたことをお返しできればと思います。アーリントンで学んだ仲間とは交流が続けられてまた同じ地に出向けられればいいと思います。
 母からは英語が全く上達できなかったからこれから英語を一生懸命学びたいとの言葉が出ないことを評価されましたが、それも必要なことではあると思いますが、私的には自分から他人に話しかけられるようになったこと、この成長を自分なりに評価してこれからの学びや人との関わりの中で取り入れていきたいと思っています。
 昨年までは意味を持てなかった体育祭や文化祭への取り組み姿勢も変化しています。
 この事業を支えて頂いている皆様に感謝いたします。また個人的にこのホームステイへ参加させていただくために関わってくださった先生、両親、兄弟も感謝します。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。M田社長さん面白おかしく説明や今後についてお話をありがとうございました。カルチャーセンターの職員の皆さん、同行いただいた先生方もありがとうございます。人との関わりを避けていた部分のあった私が人との関わりに感謝できるようになったのも今回の体験ができたからだと思います。