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「No Bye」
高校3年

今年の三月、友達からきたlineの通知を見て、私はとても驚いた。「黒板に海外派遣のパンフレットが貼りだされていたよ。」きっと霧島市の海外派遣事業が今年から再開したに違いないと確信した。中学二年生の夏にマレーシアにホームステイをし、新型コロナウイルスが流行したことで派遣事業が止まってから四年。ついにもう一度海外に行くという夢を達成できるのではないかと胸が高鳴った。正直、応募するときから不安は一ミリもなかった。
 アメリカのワシントン州オークハーバーに七月二十四日から八月十六日までの二十四日間の派遣が決まった。台湾経由で十二時間以上のフライトだったが、友達と話したり、機内食を食べたりしていると案外あっという間だった。飛行機が遅延して夜の十二時過ぎの到着。みんなが次々に自分のホストファミリーを見つけるなか、私の名前を書いたボードを持つ人が見つからない。少しして遠くから私のボードを持って歩いてくる家族を見つけた。お母さんとお姉さん、妹が笑顔で近づいてくるのが見えて少し泣きそうになった。これからの二十四日間、楽しく過ごせそうだとワクワクした。
 基本的に平日は八時から十一時過ぎまで授業で、アメリカについて学んだり、ミニゲームをしたりする。昼食は各々が持参したランチを教室や外で食べる。私は前日にパンにチーズ、ハム、野菜、ソースをはさんだサンドイッチとジュース、お菓子をバッグに入れて持っていく。他の家庭では夕食の残りのピザやラーメンを持参するところもあった。午後は二時くらいまで校外学習。学童に行ったり、ローラースケートをしたりした。ボーリングひとつとっても日本と靴のサイズの表記や内装が違っていて、日本とアメリカとの違いを感じた。水曜日は一日遠足でシアトル市内に行ったりハイキングに行ったりした。ショッピングでは店員とのコミュニケーションに少し緊張したり、小銭がうまく使えず苦労したりした。休日はホストファミリーとゆっくりした時間を過ごす。私も自家用ボートで釣りをしたり、フェアに連れて行ってもらったりした。家族が私のためにたくさん考えて催し物やきれいな景色を見せ、美味しいものを買ってくれたことが本当に嬉しかった。また、ホストファミリーの友達を紹介してもらうことで、私の目標だった海外の人と連絡先を交換することができた。最初は慣れない人たちとパーティーをすることが辛いと思うこともあったが、今では良い思い出となった。
 最後に、お母さんが言った忘れられない言葉。「No Bye.」短い期間だったがこの家族の一員として楽しい時間を過ごせて幸せだった。もうひとつの家族との思い出は一生忘れられない大切なものとなった。


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